『 Good Luck ・・・・！ 』
「 ・・・さあ。 これでいいわね・・・！ 」
フランソワ−ズは あらためてゆっくりとその部屋をみまわした。
ベッドもきちんと整えられ、クロ−ゼットの中味も全部出して空になっている。
書き物机兼用にしていたお気に入りのドレッサ−も 綺麗に磨きあげた。
使いやすかったし ちょっと古風なデザインが好きだったので残念な気もする・・・
「 ほんとうに気持ちのいいお部屋だったわ。 わたしには勿体ないくらい・・・ 」
ほう・・っと溜息をつき、もう一度懐かしげな視線をめぐらすと
彼女は足許のス−ツケ−スを取り上げて まっすぐに戸口へ向った。
「 ありがとう・・・ さようなら。 今度は本当のお客さまが使ってくださるといいわね・・・ 」
− ぱたん・・・・
わずかに室内の空気がうごき 窓辺で洗いたてのレ−スのカ−テンがひっそりと揺れた。
運命のめぐり合わせとしか言い様がないだろう。
そんな不思議な そして 禍々しい繋がりで彼らはこの地に起居を共にしていた。
突然捉えられた魔の手をやっとどうにか振り千切った今、彼らは新たな一歩を踏み出そうとしている。
祖国へ戻るもの、この地に新たに根を張ろうというもの・・・
みな それぞれの道を求めてゆく。
ヒトとして 人間としてもう一度生きて行くために。
そんな仲間たちの旅立ちの支度に手を貸し、フランソワ−ズは大忙しだった。
彼女は各人が当座必要と思われる物に あれこれとこころを砕いた。
「 ・・・大丈夫だ。 子供じゃあるまいし。 」
「 もともと何にもねえんだからよ、なんとでもなるって・・・ 」
「 ありがとう、助かるよ・・・ でもそんなに心配しないで。 」
「 その心使いだけで十分だ。 」
「 なんの、ほんの指呼の距離アルね！ 心配はこっちの方ネ・・ 」
「 一番の餞（ はなむけ ）は そなたの花の微笑み・・・ 」
無駄口を叩きながらも みなそれぞれに惜しみない笑顔を彼女に向けた。
「 これを持って行ってね！ 」
そんな 彼ら一人一人に、フランソワ−ズは小さな包みを渡す。
ただのお菓子よ、と彼女は少し照れ臭そうに笑った。
「 あ、大丈夫、甘くないから。 キャラウェイ風味の塩味のクッキ−なの。
固焼きだから日持ちもするし・・・ビ−ルのおつまみにもなるわ。 」
「 へえ・・・ 美味そうじゃん？ 」
「 あら、お家へ着いてからのお楽しみにして？ ここの、この家の味だと思ってね。
このキャラウェイは ここの庭に植えたのから摘んできたのよ。 」
「 お〜お・・・ そういえば春先にジョ−が土いじりにこき使われてたよな〜 」
「 土いじりだなんて・・・ ガ−デニングって言ってちょうだい。 」
なんのかんのと 皆がいつもより少しだけ饒舌だ。
そのクッキ−の小さな包みを 彼女は大判のハンカチでくるんでいた。
そして ハンカチの隅にはそれぞれの名が小さく刺繍してあった。
はたして 何人がその細やかな心使いに気付くだろう・・・
見過ごされてもそれはそれでいいわ、とフランソワ−ズはさばさばと思った。
わたし自身の気持ちの問題だし・・・ とにかく、皆元気で・・・！
明日への希望と不安と ・・・・ 別離の一抹の寂しさ、そして 感謝。
ぎりぎりの日々を共に生き抜いてきた仲間たちである。
そんな彼女の心くばりに気付かないものは いなかった。
みな それぞれの表情の下で嬉しさは隠し切れないようだ。
「 あ〜あ・・・ 我輩もマドモアゼルと共棲みすればよかったなあ・・・ 」
「 それはあんさんの役目とは違うアルね。 」
「 役者が自分の役を取り違えたら 困るだろうが。 」
みんな ここに居残る唯一の少年に意味ありげな視線を飛ばす。
「 だ・か・ら。 また会いましょうよ。 わたし達の家は・・・ここにちゃんとあるんだから。」
穏やかな微笑みの波が ゆっくりと仲間たちの間に満ちてゆく。
そうなのだ。 自分たちには、帰ってくるところがちゃんとある。
それはヒトとしての全てを奪われ 彷徨っていた者達にとって何よりも心安らぐことだった。
「 ねえ、ジョ− ？ 」
「 ・・・え ・・・！ あ、ああ、・・・うん。 」
会話の輪からはずれ ひとりソファの隅でぼんやりとしていたジョ−は
突然ハナシを振られて それこそ飛び上がらんばかりに驚いた。
「 いやあねえ・・・ 聞いていなかったの？ 」
「 ・・・う、ううん、 そんなコト・・・ないよ。 あ、ごめん、僕。 ちょっと、そう、用事・・ 」
「 あら、なんか買い物？ だったら後でわたしがゆくわよ。 」
「 う・・・ううん、いいよ！ 僕じゃなくちゃ わからないから・・・ 」
「 そうなの？ あ・・・ 」
自分で水を差してしまったシラけた雰囲気にいたたまれず、ジョ−は唐突に座をたった。
「 ちょっと・・・ ごめん！ 」
「 ・・・あ・・・ ジョ−！ 晩御飯までには帰ってきてね？ あ〜あ・・・ 」
フランソワ−ズの声と 突き刺さる仲間たちの視線から逃れるようにジョ−はドアを閉めた。
わんわんわん・・・
すぐに 表に賑やかな犬の鳴き声と砂利を蹴立ててゆくスニ−カ−の靴音が響く。
「 ・・・・ もう・・・・ 」
「 気にするな。 アイツは・・・ガキなのさ、本当に。」
「 そうそう。 あんさんをわてらに取られてご機嫌斜めなアルね〜 」
「 あのワン公がちょうどいい相棒なのさ 」
− ほんとに・・・・ 大丈夫かしら・・・ちゃんとやって行けるのかな。
リビングの窓越しに遠ざかってゆく主従の茶色い影を追い フランソワ−ズは小さな溜息を漏らした。
− ・・・・ちぇっ ・・・ ！
すでに熱気の飛び去った海風にさかんに前髪を弄られて ジョ−は誰にともなしに
悪態をついていた。
− わん・・？
主人の足許を行きつ戻りつしていた愛犬が 首を傾げてそんなジョ−を覗き込む。
「 あは・・・・ クビクロ、お前までそんな微妙な顔をしないでくれよ・・・ 」
ひゅん・・・・
ジョ−は足元の貝殻を拾って 思いっきり海原へ放り投げた。
「 ・・・ほっんとに ヤなヤツなんだから。 もういい加減愛想がつきたよ・・・ ！
うじうじしてさ・・・。 お前、それでも男かよ〜〜〜 ああ！ ほっんとに 僕ってヤツは・・！」
ざん・・・・
蹴り上げた砂は ぼてぼてと力なくジョ−の上に落ちて来た。
波打ち際なので 十分すぎる程、水気を含んでいたのだ。
− っとに・・！ もう〜〜〜
砂まみれのジ−パンとスニ−カ−で ジョ−はどっかりと砂浜に腰を落とした。
いつの間にか 自分にとって一番身近な存在になっていた・・・彼女。
気がつくと目は、耳は、ごく自然にその優美な姿を追っている。
ひとつ屋根の下で寝起きし、手を伸ばせば・・・いつもそこにいる彼女。
とおい憧れならいざ知らず、誰よりも近くにいる人なのに。
− きみは。 きみは どうするの・・・・
このひと言がいえない。聞くことができない。
一番知りたくてうずうずしているのに その結果を知ってしまうのが怖くて。
彼は 今日も黙ってくるくる働くフランソワ−ズの横顔を眺めるだけだった。
− くうん・・・？
足許で丸まっていた仔犬が そっと主人を見上げて鼻をならした。
「 なんだい、クビクロ・・・。 お腹すいたのかい？ 」
うん・・・っと伸びをして海原へ視線を飛ばせば 秋の陽はそろそろ翳りだしている。
晩御飯までには帰ってね・・・
そんな風に言ってもらえる相手がいるなんて。 それが今だけでも 自分には望外の幸運なのだ。
自分のために用意された食事。 自分を待っていてくれるひと。
そんな 存在が得られただけでも十分に感謝しなければならない・・・。
楽しい夢は、宴は、いつか必ず果てるのだ。
− ふう・・・
湿気ですこし重く纏わり付くジ−ンズに顔をしかめ、ジョ−は何度目になるかわからない
溜息を盛大についた。
「 ・・・・ クビクロ ・・・ 帰るぞ。 ・・・晩御飯が待ってる。 」
わん♪
ちぎれんばかりに尾を振って 茶色毛の犬は主人のわきにぴたりと寄り添ってきた。
飛行機の乗り継ぎの関係で 一番最後になったピュンマが今日、この邸を後にした。
駆け抜けた台風が 夏の名残を一挙に持ち去った翌朝、
ぐん・・と高くなった空を仰ぎ、彼は常夏の故国へと戻っていった。
精悍な笑顔と 温かい眼差しを残して、彼は勇んでまだまだ多難な前途へ向ったのだ。
「 ・・・ みんな 行っちゃったわね。 」
「 ・・・うん 」
「 わたしが最後になっちゃった。 あ、ねえ、ジョ−？ 」
「 ・・・ うん 」
「 ？ なあに、うん、うんってばっかり。 」
「 ・・・ うん 」
「 もう・・・。 あのね、後でちょっと手伝ってくれる？ 荷物が重くて・・・
それにね、ジョ−にもクッキ−。 貰ってくれる？ 」
「 ・・・ ウン・・ あ、 ごめん・・・。 いいよ・・・ 」
「 ごめんなさい、お願いね。 さあ、あとひと頑張りして片付けてきちゃうわね。 」
「 ・・・ うん 」
「 ほっんとに・・・ 可笑しなジョ− ・・・ ？ 」
ちいさく首を傾げて くす・・・っと笑って。
それって きみがご機嫌の時のクセだって・・・きみは、きみ自身、気が付いてる？
そういえば・・・と、誰も居なくなったリビングでのろのろとソファに座ってジョ−は思った。
数日前、ギルモア博士と彼女がかなり真剣に話し合っていたっけ・・。
「 本当に それでいいのかね、フランソワ−ズ？ 」
「 はい。 博士がお許しくだされば・・・ 」
「 許すも何も・・・ わしの方がすまない気分じゃよ。 ここの方がなにかと便利じゃろうに・・・ 」
「 大丈夫ですってば。 わたし一人特別扱いはしないで欲しいですわ。 」
「 ・・・そうゆう意味ではないよ、フランソワ−ズ・・・ 」
「 それでは、出来るだけ早く荷物を片付けますね。 ありがとうございます、博士。 」
「 礼を言わねばならないのは わしの方じゃ・・・ 」
やっぱり。
多分、そうじゃないか・・・と思いつつも こころの隅では淡い期待を持っていた。
この国に彼女が残ってくれるのではないか。 できれば このまま同じ屋根の下に・・・。
幼い頃から いつの間にかなにも期待しない習慣が身についてしまっていた。
期待すればするほど、それが外れた時の想いが辛い。
なにも望まなければ なにも失望することもない・・・ そんな自己防衛の手段が
自然と自分自身の生き方にもなってしまったようである。
カサリ・・・
ジョ−は テ−ブルの上の小さな包みをそっと広げた。
− はい。 これはジョ−に。 ・・・甘い方が好きだった？
さっきリビングを出てゆく前に フランソワ−ズはくすくす笑ってその包みをジョ−に手渡した。
手作りのお菓子、一緒に摘んだキャラウェイが薫るクッキ−を包むのはブル−のハンカチ。
その隅にはコバルトの色糸で綴られた自分の名前・・・
島村 ジョ−
数日前日本語で名前を書いて、と言われナニが何だかわからないままに ジョ−は自分の名前を
書いた紙を彼女に差し出した。
「 これ・・・・。 あの、どうするの？ 」
「 あ、 ありがとう！ うわ・・・ちょっと難しいかな・・・ 」
「 ？？ 難しいって・・・ 何が？？ 」
「 え、あ、ううん。 なんでもないの。 ねえ、この横棒が沢山込み合ってる方がシマムラなの？ 」
「 ・・・横棒って・・・ そうだけど。 」
「 ふう〜ん・・・ あなたのファミリ−・ネ−ムは難しいのねえ・・・ 」
大きな瞳をことさら見開いて フランソワ−ズは楽しそうにジョ−の書いた字を指で辿っていた。
そうなんだ・・・
この、ハンカチの刺繍の為だったんだ・・・
ジョ−は その漢字というよりも彼女自身が言った如く＜横棒＞の集合みたいな
刺繍を眺め そうっと触れてみた。
− もしよかったら。 この国で、ここでこのまま暮らさないかい？
そんな台詞は 百万回も胸の内で練習済みである。
だけど。
きっときみは・・・ この刺繍糸よりも透明な瞳をびっくりしたみたいに見開いて・・・
きっときみは・・・ ちいさく首を傾げて 微笑んで・・・ 言うんだ・・・
− わたしも 故郷に帰るわ。
そう言われたら。 目の前で 僕の目を見詰めてきみに言われたら。
僕はどんな顔をしたら・・・いいのさ。
だったら。 このまま 黙ってなんにも聞かないできみが出て行くのを見送る方がマシさ・・・
カリ・・・
ジョ−はゆっくりとキツネ色に焼きあがったクッキ−を齧った。
ほどよい塩味と ほんのり香ばしいような独特の香りが口中にひろがる。
＜おかえりなさい＞って、わたしのかわりにこのクッキ−が言ってくれるわ。
どうしてみんなに クッキ−を渡すのかと聞いたジョ−に フランソワ−ズは
ちょっと頬を染めて そう、応えた。
家に帰ってきたときに、 誰かがそういってくれたら・・・嬉しいじゃない？
いまは みんなバラバラになるけれど、ここのお家のこと、忘れてほしくないのよ。
カリリ・・・
またひとつ、もうひとつ・・・とクッキ−を口に運んでジョ−はそんな彼女の言葉を一つづつ
思いおこし、味わいなおす。
「 ジョ−、お待たせ。 このマットレスも・・・ あら？ 」
「 ・・・あ、うん。 いいよ、どれ？ 」
「 やぁだ・・・ ジョ−ったら そんなにクッキ−を食べちゃったら晩御飯、入らないわよ？ 」
ひょい、とリビングのドアから顔を覗かせたフランソワ−ズは 呆れ顔である。
「 ・・・あ、う、うん・・・大丈夫・・・ さあ、運ぶよ？ス−ツケ−スとかも・・ 」
「 ああ、それはもう運んだわ。 あとね〜 マットレスなんだけど・・・ 」
「 え・・・？ そんなモノも持ってゆくの？ 後から送るよ？ あれ、きみ、まだ着替えてないの？
夜の便でもそろそろ出たほうがいいんじゃないかな・・・ 」
「 ？ 送るってなにを？ 上のお部屋のベッド、マットレスが駄目になってるみたいなのよ。」
「 ・・・ 上の・・・部屋って・・・？ 」
「 さ、お願いね〜ジョ−。 さっさと片付けないと晩御飯の支度が遅くなっちゃうから。
ほら、クッキ−はもうお終い〜。 また焼くから・・・ ね？ 」
いつまでも まじまじと自分の顔を見詰めてたまま動かないジョ−に
フランソワ−ズはつかつかと歩み寄った。
「 上の部屋って・・・ あの・・・ きみ、帰る・・・んじゃ・・・？ 」
「 え？ ああ、この前ね博士にお願いして。 二階にお部屋を変えさせて頂いたの。
ほら、今までわたしだけ一階のお客様用の寝室を使わせてもらってたでしょう？ 」
「 ・・・・あ・・・ うん ・・・ 」
「 これから、ここで暮らしてゆけば、ほら、コズミ博士とか御友達もいらっしゃるでしょうし・・・
わたし一人特別扱いはイヤだし。 ちょうど二階の南端のお部屋、空いてるから。 」
「 ・・・ ここで・・・ 暮らす・・の？ 」
「 さ！ 重くて悪いんだけど。 え？ 暮らすって・・・ここに来た時、そう言ったわよ、わたし。
イワンの世話も、ジョ−、あなた一人じゃ大変だし・・・。 それに・・・ 」
フランソワ−ズは ゆっくりとリビングを見回した。
穏やかな微笑みが ぱあ・・っと部屋中にひろがってゆく・・・。
「 ここが好きなの、わたし。 わたしの家は ここなの。 」
「 ・・・・・ ！！ 」
「 ・・・！ ど、どうしたのよ、ジョ−！？ お、おどかさないでよ！ きゃ・・・！ 」
頬に手をあて目を見張り。 びっくり仰天しているフランソワ−ズの言葉などてんで耳に入らずに。
ジョ−は ただ、ただ、笑い声をあげ、彼女を抱き上げてくるくると回り続けた。
− フランソワ−ズ・・・！ フランソワ−ズ・・・・！！ ・・・・ よかった・・・！
***** Fin. *****
Last updated:
09.13.2004. index
******** 後書き by ばちるど ******
初めの一行でもう、ラストの予想がつく・・・ そんな典型甘話であります。
もうこの鬱陶しい？ジョ−君は完全に平ゼロ〜♪１７話の後くらい。
ラストだけ原作の『 結晶時間 』 のアノ場面を持ってきてみました。(>_<)